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「物価高を受けて食品の福袋が人気を集めるなど朝から多くの消費者が店舗を訪れた。一方で近鉄百貨店では1000万円の絵画が売れるなど初売り商戦でも消費の二極化が一段と鮮明になっている。」
日経新聞2026年1月3日付朝刊で、上記の内容が紹介されていました。百貨店では開店前から2,000人以上の行列ができていたということで、新年初売りの風物詩となっているようです。
とはいえ、私自身は福袋を買った記憶がなく、これからも買わないであろうと思います。なぜ人々はこんなに福袋に魅せられるのでしょうか。
正月になると、なぜか当たり前のように話題に上がる福袋。初詣やおせちの話題と並んで必ず話題になることから、日本の年始文化として完全に市民権を得ている存在となっています。

冷静に考えるとその魅力はどこにあるのかよくわかりません。中身が分からない袋を、あたかも価値があるかのように列に並んで買う。しかもそれを「夢がある」と表現されることもあります。
福袋の起源は、諸説あるようですが、江戸時代の呉服屋にまで遡ると言われています。売れ残った反物や商品を袋に詰め、縁起物として売り出したのが始まりだとのことです。つまり、始まりの段階から、その本質は在庫処分だったということです。それがいつの間にか夢や運試しに姿を変え、現代まで続き、年始の風物詩とまでなっているのです。これは商売の知恵、つまりマーケティング力と、日本人の行事好きが、見事にハマった結果なのでしょう。
福袋を語る上で避けて通れないのがお買い得感です。「定価ベース⚪︎万円相当」という表現がされており、この一文があるだけで、福袋は一気に輝いて見えます。なんとお得な買い物をしたんだろうか、縁起も実入も良いと感じてしまうようです。

ただし、その輝きはかなり加工され、誇張されていると言わざるを得ません。定価とは、初期に設定された価格であり、現在の価値とは必ずしも一致しません。セールでも売れなかった商品が、福袋の中ではなぜか定価に戻って評価されるという魔法にかけられているのです。定価をベースに計算するのであれば、数字としてはお得でも、現在の価値として本当にそうなのかで考えると、セールをした時の価格とほぼ同じくらいの場合がほとんどでしょう。
そもそも前述のように通常の販売で売れなかったものを福袋にするという始まりからすれば、売れているものは基本的に福袋に入っておらず、定価では売れなかったものの組み合わせになるわけですから、定価ベースで考えるのは合理的ではありません。
それでも福袋が成立するのは、確かに夢のある話が存在するからです。過去には時価ベースにおいても明らかに価格以上の価値がある商品が入っていた福袋もあり、それらは今でも語り草になっています。ただ、ここで重要なのはその確率です。話題になる福袋は目立つのですが、実際にはほとんどが発生していません。多くの人にとっては、特に語られることもなく「定価ベースで考えればお得」という一言で終わる福袋の方が圧倒的に多いのです。

それでも人は、「もしかしたら掘り出し物があるかもしれない」という可能性に惹かれます。この構造は、宝くじ売り場に貼られた高額当選の看板を見て、なぜか自分にも当たりそうな気がしてしまう感覚とよく似ています。合理性よりも感情が勝つ、ギャンブルの一種であるともいえます。
私自身が福袋を「本当の価値」以外で買わない理由が、不用品を生みやすいという点です。サイズが合わない服、趣味ではない色やデザイン、使い道が思いつかない雑貨。袋を開けた瞬間に、扱いに困るものが相当の確率で出てくるはずです。なぜならば、自分でチョイスしておらず、お店の都合で抱き合わせられた商品の詰め合わせだからです。

その結果、人に譲る、フリーマーケットに出す、それでも残ったものは捨てる、となってしまいます。この流れは、福袋という仕組みが構造的に抱えている問題です。企業にとっては在庫が減り、消費者は一時的な高揚感を得るものの、社会全体で見ると、モノが遠回りして廃棄されているだけ、とも言えます。必要な人のところに必要なモノが届く仕組みではないのです。
ここまで見ると、福袋はかなり分が悪い存在に思えます。それでも毎年人々が並んでまで買うのは、販売する側のマーケティングとして特別なイベント感を強く打ち出すからです。

年始という区切りが良く、何やらおめでたい雰囲気を社会全体が醸し出しているタイミングに、分かりやすい非日常を提供できる。買う理由が「必要だから」ではなく、「年始だから」「おめでたいから」で成立するのは、タイミングと「福袋」という名前に由来しているのでしょう。
さらに、人は不確実なものに対して、理屈以上の魅力を感じます。結果が分からないからこそ、参加したくなる。この人間の性質に、福袋はうまく寄り添っています。そして、かなり限られた少ないケースながらも、「お値段以上」の福袋があることも「ワンチャン、自分にも」と思わせるところがあるからです。
とはいえ、すべての福袋を否定したいわけではありません。
中身を公開した上で、明確に価格的メリットがあるものもあったりします。ただ、これは本質的に福袋として成り立つのかは疑問ではあります。それに、一般的には福袋は複数のモノが入っているので、それらのすべてが自分が欲しいものかというと、必ずしもそうではないというところからすると、中身がわかっていたとしても不要なモノが含まれる点では変わりがありません。もしかすると、いわゆる「推し」のものが入った福袋であれば、そのすべてを手に入れたいという欲求があるのかもしれません。その意味では強いブランドの福袋は中身すべてが手に入れて嬉しいものになる可能性はあります。

また、体験型やサブスクリプション型で、不要な物質としてのモノを生まない設計のもの。こうした福袋は、新しい発見があるという意味では面白いのかもしれません。そこには運試しという要素はほとんどないため、福袋とはいえないものになってしまうのかもしれませんが。
結局のところ、福袋に詰まっているのは何なのでしょうか。本当に夢が入っているのか、それとも期待という名の錯覚なのか。答えは人それぞれですが、私は冷静に考えて福袋の起源や企業がなぜ福袋を売り出したいのかを考えると買う価値はないと思っています。

福袋という風物詩を成り立たせているのは、夢を見たいと思う気持ちです。年始という特別なタイミングに、少しだけ非日常を味わいたい。その感情こそが、福袋の正体なのかもしれません。そう考えると、福袋は夢を売っているのではなく、夢を見る体験を提供している存在なのかもしれません。
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毎年福袋の話題が年始のニュースに流れてくる中で、漠然と思っていたことを書き出して整理してみました。
ちなみに、過去にAppleの福袋(Lucky Bagという名前でした)ではどう考えても購入価格(36,000円)よりも価値があるMacBook Air(98,800円)が入っていたりという例がありました。これは明らかにリセール価格からしてもお得な買い物だったとしか言いようがありません。その他、Appleの福袋はいつも売れ残りの製品ではないものが入っていたようなので、本当にお得な買い物として購入しても良いという珍しい福袋でした。

福袋に批判的な気持ちを書いたので、いつも購入している方々には不愉快だったかもしれませんが、結末の通り「夢を見る体験」を購入するという意味では間違いではありません。
福袋の中身でこんな面白いのがあった、これならば購入しても良いのではないかというのがあれば、コメント欄やSNSで教えてもらえると嬉しいです。
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