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経営や趣味、時事などのブログ記事や、Podcastの発信を日々行なっています。ニュース登録をしていただければ、更新情報を配信していきますのでお気軽にご登録ください。(広告を配信することはありません)
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【エピソード概要】
今回は、トリニティ新社長・山本洋平氏に焦点を当てる。
Hossyとの出会いは20年以上前のオンラインゲーム。ゲーム仲間からビジネスパートナーとなり、トリニティ黎明期から製品開発を支えた山本氏の貢献と人物像を紹介。中国でのモノづくり苦労話や、Hossyとの深い信頼関係について語られる。
そしてちょっとお茶目な「◯◯◯事件」とは?
トリニティの初期からの歴史を支えてきた山本氏の物語を通して、これからのトリニティがどう進化していくのか、期待が高まる。
「Podcast:リアル経営」このエピソードに関するご意見・ご感想をぜひお寄せください。今後の配信の参考にさせていただきます。
「リアル経営|企業経営の成功と失敗。等身大で語る台本なき社長のリアル」
この番組は私、Hossyこと星川哲視が自らの体験をもとに、経営やその舞台裏などをリアルに語っていきます。
リアル経営は、毎週金曜日朝6時に配信しています。
おはようございます。Hossyこと星川哲視です。
おはようございます。STRKのがじろうです。
今週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ今日のテーマは、まだちょっと、何でしょうね。始まったばかりのポッドキャストでもあるし、私自身の卒業がまだそんなに前のできごとでもないということもあって、引き続き後継者や、そういった卒業の流れの中での部分で、今回やるのが「後継者のリアル」
ほ〜、いいですね。
3回目ですね。3回目に少し話をしたと思います。その時に、若干、後継者を選ぶ時の紆余曲折みたいなところは話したかなと思うんですけれども、もしね、聞いていない方がいたら、Episode 3のところで、どのような紆余曲折を経て山本洋平にバトンタッチする相手として決めたのかというところは、聞いていただければなと思います。
1回断られていますもんね(笑)
そうですね、はい。もう誰もが彼になるだろうといってもおかしくない、そこに疑問を抱かない、というぐらいのところだったのに、嫌だ言われるということがあったんですね。
ははは。
ここら辺のストーリーは第3回で話しています。 ただ、実際その時には社内昇格で、そもそもナンバー2だった山本が昇格するのが一番自然だということで、後継者として洋平を選んだんです。じゃあ、なんでってというところや、じゃあ洋平って誰なの? というところを、その時には深掘りしなかったので、今日はそこの山本洋平ですね。
それと、今度ナンバー2、今までナンバー3だった佐藤拓ですね。社内では「ぼん」と言っているので、ぼんでいこうかなと思いますが、洋平がナンバー1になり、ぼんがナンバー3だったところからナンバー2へ、役職としても副社長という形で上がっていきましたので、この2人について、今回はリアルに話していければなと思っています。
めちゃめちゃ楽しみです。お願いします。
はい。がじろうはね、2人とも知っている。
そうですね。
はい。想像しながら話せるし、もしかしたら知らない話も出てくるかもしれないので、そこら辺も何かあればお話しください。
わかりました。
はい。というわけで、まずはやはり次期社長というか、もう社長になりましたが、山本洋平の話からしたいと思います。
はい。
一番最初に話をしておかなきゃいけないところとしては、洋平は僕がトリニティを起業する前からの知り合いだということです。
はい、何つながりなんですか?
出会いはですね、オンラインゲームです。
(笑)いいですね。
22〜3年ぐらい前からですね。相当昔ですけど、トリニティを起業する、たぶん2年ぐらい前じゃないかな。ちょっとさすがに記憶が定かではないので、だいたいそれぐらいということで。間違っていたらすみません。
22〜3年前でオンラインゲームをやっていると、今ほどオンラインゲームがブームでもないですよね。
そうですね。もともと僕がやっていたのは「Shadowbane(シャドウベイン)」というオンラインゲームだったんですけれども、このゲームは昔のオン・ザ・エッヂというホリエモンがやっていた会社が、海外のゲームを開発している会社なんですけど、それを日本で展開する代理店としてオン・ザ・エッヂがやっていたやつで、たぶん初めてのMac対応のオンラインゲームでした。
オンラインゲームといっても、ここはちょっと深く話すと本当に毎回長くなって申し訳ないんですけれども、MMORPGといって、多くの人が同時に接続してプレーするオンラインゲームなので、たとえば、オンラインで将棋や囲碁をやるというのは、あったはあったんですね。
うん。
ですけれども、多人数が同時にプレーする「シャドウベイン」は、これはこれで結構本当に面白いというか、僕が唯一人生でハマったゲームでもあるんですけれども、先ほど言ったように多人数なので、今ではもちろん普通ですが、当時はそんなに普通じゃなく、Macでできるというのは初めてだったので、それで始めたんです。
たくさんの人と同時に、戦争ゲームなんですけど、基本的には町を作って、お金を貯めて、陣地を取って、城を作って…なんてことをやっていたら、隣の国が攻めてきたりとか。攻めてくる隣の国も相手はプレイヤーという形で、あんまりこう、NPCといって、人間ではないキャラクターが出てきてクエストをこなす、みたいなことがまったくない珍しいゲームだったんですよ。なので、すべてが自由みたいなゲームで、自由だからこそすぐ揉めるんですよね。
へへへ。
その辺を歩いているプレイヤーを殺せるんですよ。自由に。殺して金を奪えるんです。そして、人をどんどん殺していって金を奪う奴らがいるわけですよね。当然。自然に発生してきて。そういう奴らを逆に倒す正義のグループも出てきたりとかして、これが自然に発生するのが面白いゲームでした。
はいはい。
そして、だんだん国と国という形になっていき、国同士の戦争をやるようになります。戦争もいろんな形があって、たとえば長距離弾のようなものを当てるには、ここに砲台を置いて、こういうふうに狙わなければいけないとか。
でも、ここに置くと当たらないけど、ここまで進むと相手に見つかっちゃう、みたいな。いろんな戦略と戦術があって。 そこで僕がギルドリーダーといって、そのグループのリーダーなんですけど、それをやっていて、最高で、たぶん200人ぐらいいたんですね。うちのチームが。
結構でかい組織ですね。
これまた面白くて。連合みたいな感じなんだけど、小さいグループがいっぱい集まって、最終的に1つの国になる、みたいなね。ちょっとこれ話すと長くなっちゃうんですけど、いずれにせよそこでやってて。それで、洋平も元々は違う小さいグループにいたんですが、そこから一緒になってやるようになったと。
なのでオンラインではもうずっと彼と一緒に戦争をしていたんですね。その時も、僕がいわゆる先ほど言ったギルドリーダーというやつで、彼が参謀みたいな感じだったんです。
ふ〜ん。
もう1人、戦争の司令官みたいなのがいて、その司令官は、トリニティの4人目の社員になりました。
だいぶ、そのオンラインゲームのチームでトリニティは成り立っているんですね。
そうなんですよ(笑) はい。で、山本が5番目なんですね。
はぁはぁ。
はい。なので5人目まではそういう形で、前に一緒の会社にいたとか、一緒にオンラインゲームをやっていたという仲間でやっていたんです。6人目から初めて公募して、知らない人というか、一般の人が入社してきたという形になったと。
オンラインゲーム、馬鹿にならないですね。
いや、本当そうですね。このオンラインゲームは、リアルの経営とは結構違うかなと思っていたんですが、
いや、だけど、今の話を聞いていると普通の経営ですよね。自由にできてって。
いや、本当にそうなんですよ。やっぱり200人もいると、僕が1対1でそれぞれやりとりはできないじゃないですか。やはり中間管理職ではないですけれども、中間のリーダーが必要になるんです。
それで、町を作る人とか、モンスターを倒したりしてお金を稼ぐ人とか、武器を強くするとか、グループの戦争をやる時のグループ単位で訓練をする人とかに分かれてくるんですよね。
この話は長くなるので、また別の回でやらせてください(笑)
すみません(笑)
ちなみに、その時の洋平さんとのオンラインでのエピソードで、一緒に働いてもいいなと思ったきっかけは何かあるんですか?
そうですね。僕がそのギルドリーダーとして、外交や他の国と同盟したり、敵対したりといった対外的なことや、全体の決定事項をやっていました。それで、彼はそういう意味ではナンバー2か3でした。
さっき話した戦争の司令官も結構強いイケイケのやつだったので、彼もリーダーとしてやっていて、その司令官と洋平と僕の3人ぐらいで、多くのことを最終的に決めようみたいな感じでした。
うん。
戦争になる時は、実際に戦っていくのが先ほどのトリニティ4番目の社員で、洋平は戦略というか戦術を考えていました。戦争を仕掛けると、48時間か72時間後に戦争が開始されるんです。最初に「ここと戦争します」って宣言して。それまでの間に相手の陣地を偵察しに行って、マップを描いて、「こっちから攻めて、その間にこっちでこうしよう」みたいなのを洋平が組んでいたんです。
はいはい。
そういう意味では、一緒に戦った戦友みたいなね(笑)形でやっていたので、信頼感はありましたね。何かを組み立てて実行する、というようなところは上手かったですね。
なるほど。
僕は起業する時にこのオンラインゲームをやめたんですね。突然。 なので、残っていた人たちもね、多少…まあ、これも少し前に話しましたかね。僕が辞めるということで、結構オンラインゲームってソーシャル要素がやっぱり強いので、人と人とのつながりが強いんですよ。
なので、かなり寂しい思いをした人もいたりとか。まあ正直、最近、最後の卒業の5月1日のYouTubeにコメントをくれた人のうち2人ぐらいは、その時に一緒にやっていたメンバーなんです。
へ〜。
それぐらい、20年近く経っても繋がりがあるんですね。 いずれにせよ、それで僕はやめて、実際そのゲームもだんだん廃れていってしまって、ゲーム自体のサービスも終了してしまったんですよね。
これもいろいろ理由があって、もしその回があれば存分に話したいなと思いますが、世界のサーバーだったので、やっぱりアメリカ人と中国人とヨーロッパの人たちとかと、実際の国際関係のように同盟と敵対があるんですね。
うん。
なのでいろいろあって、終わってしまったと。はい。
それで、洋平は家具屋さんに勤めていて、カタログ通販とかで家具を販売して、企画して、設計して、営業も自分でやるという感じで、小さい会社だったので1人でやっていたんですけれども、ある時に彼がビジネス用のデスクを作っていて、ビジネス用の。
その時に僕はもうトリニティを始めていて、最初に取引していた台湾の会社がオーディオもやっている会社で、デスクにスピーカーを埋め込んで、当時流行っていたiPodで音楽を聞けたら面白いんじゃないか、と。他のデスクとの差別化ができるんじゃないかというところもあって、僕の取引先の台湾の会社に依頼して、デスクを作ろうとなりました。
うん。
でも、そのスピーカーがぜんぜん出来てこない、納期を守れない、となって。急遽違うスピーカーを買って取り付ける、みたいな謎の大きなトラブルを経験しました。 僕ももともとケースとかしか作っていなかったから、スピーカーを売るのも初めてだったし、台湾の工場がそんな製品をまったく作れないなんて思っていなかったので、いろいろとトラブルになりました。
最終的には1、2台だけカタログに載せて売って、あとは納期をすごく先にして、誰も注文したくなくなるように設定し、あえて注文を受けないようにして乗り切る必要がありました。
売る必要ありました? それやったら。
カタログ通販というのは、事前に商談してから、カタログに載るのが半年後とか10ヶ月後なんです。だから、次の号が出るまでの間、製品がないということはあり得ないんです。
なるほど。
「やめました」というわけにはいかない、という特殊な事情があって、2人でやって失敗したんですけど、なぜか、失敗はしたんですけれども、お互いにプロジェクトがうまくいかない時に、「じゃあ代わりにこれをやろう」とか、確かヨドバシカメラかどこかに行ってスピーカーを買い漁って、「これで作ろう」とか、そういうトラブルを一緒に解決して。
結果として売上は上げられませんでしたが、そのカタログ通販の会社に対しては、カタログに載っているのに製品がない、というような大失態にならずに済んだあたりは、少しお互いに仕事の進め方として感覚が良かったというか、面白かったんでしょうね。
そこで、僕らの会社も、初回に話しましたが、初年度から想定の2倍ぐらいの売上になりつつ、3年目、4年目と上がっていくことが見えてきていたので、そこで洋平に「来てよ」という形で声をかけたんです。
じゃあ、Hossyさんの方から声をかけたんですね。
そう。やはり当時はまだ4人でしたし、みんな知り合いで、仲間内でやっていました。それで、もう1人メンバーを増やすとなった時に、ぱっと思いつくのが洋平でした。さっき話した4人目の社員も一緒にやっていましたし、オンラインゲームもその3人がトップとして回していた感じなので「じゃあ、洋平に来てもらうか」みたいな、気軽な感じでした。
でも本人も、デスクスピーカープロジェクトは失敗したけど、面白かったのかな、というのもありつつ。 彼がいたのは小さい会社だったので、彼が辞めるとその会社は成り立たないぐらいの状況だったんで、辞めてトリニティに来るまでに、半年から10ヶ月ぐらいかかったかな。
はい。
で、入社してきたと。
めちゃめちゃしっかりしていますね。その辞め方も、洋平さん自身もちゃんと。
そうですね。恵比寿にある家具屋さんで。最終的に、僕の記憶が間違っていなければ、その会社はなくなってしまいましたけどね。洋平が抜けてしまったので。もともと彼が企画・開発から営業まで、すべてを担っていましたからね。はい。
その時、もともと200人の組織を作っていた幹部3人が集まったわけだから、もうワクワクしますよね。
そうですね。当時は本当に今とはまったく違う働き方でした。実際、洋平が入社して初めてオフィスを作ったんです。その4人でやっていた頃は、そもそも4人目は大阪に住んでいましたし。
そうなんですか?
僕らは起業した時から自宅でオンラインでやっていたので、20年ぐらい前からすると、かなり先進的というか。
最先端ですね。
リモートワークなんて言葉がない時代に、それぞれが自宅で、すべてクラウドベースで仕事をしていました。電話もそうだし、FAXも、FAXをメールに変換してくれるサービスを使って、FAXが来たらメールでPDFが飛んでくる、みたいな。
へ〜。
ストレージもクラウドで、会計システムもクラウドで、という形でやっていました。それがたぶん、もともとの礎になっているんだと思います。トリニティはデータをローカルにあまり置かないという方針で、クラウドを使うようにしていました。 なので、洋平が「オフィスじゃないと嫌だ」と言うので、オフィスを借りることになったんです。
彼は当時、目黒に住んでいたのかな。5人だから小さいところでいいよね、みたいな感じで、すごく小さい所を借りたんですが、その後1年ちょっとで新しく入社する人たちが出てきて、全然足りなくなって。結局、2年持たなかったと思いますね。で、また移転すると。
ま、この移転したのが現在の「ザイオン」ま、オフィスのことを「ザイオン」と呼んでいる理由は、また別の回に話しましょう。長くなりましたけど。
あの洋平さん「オフィスがないと嫌だ」って。オンラインゲームに夢中だった人が「オフィスがないと嫌だ」と言うのはすごいですね。なんか。
そうなんです。営業スタイルも含めて、「オフィスがないと嫌だ」と言っていましたね。
へ〜。面白いですね。そこも何か聞きたいですね。なぜそう思ったのか。
僕はオンラインでもぜんぜん良かったんですけどね。結構、改装費をしっかりかけてオフィスを作ったのに、すぐに出ていくことになった、という。
(笑)なるほど。
そういう意味では、この間、卒業の日を迎えた時に「初代のオフィスを知っている人」というのは、もう洋平しかいないですね。
へ〜。
それぐらい古くからいる人です。
それで、1つ言っておかなければいけないことがありまして、これ本人もトリニティ卒業の日に、みんなで寄せ書きみたいなのを最後にくれたんですけれども、その中で本人が書いていたので、これはもうちょっと公表…公表というか、どこかで公表したことはあると思うんですけど、公表しなければいけないこととして、倉庫まで物を運搬するために、中古の「ミニカトッポ」という小さいかわいい車が社用車としてあったんです。
はい。
これを倉庫への往復なんかに使っていたんですけれども、ある時、洋平が倉庫から帰ってきて、僕がその車を使おうと思ったら、車の中がウンコ臭いんですよ。ペダルのあたりにウンコが付いていたんです。
はい。
「洋平、これウンコ付いてるじゃないか。ウンコ踏んだんじゃないか?」と。でも、本人は最初「ウンコ、踏んでない」と言ったんですよ。だけど、明らかに車内は臭いし、ペダルのところにウンコが付いているんです。結局、倉庫のところに犬か何かのウンコが落ちていて。
それも確認したんですよ。「これじゃないか」と。 そしたら「踏みました」ということで、朝礼の時にみんなに謝ったんです。(笑)
何の話っすか?(笑)
「洋平さん、ウンコ踏みました。すみませんでした」って。それで、車を綺麗にして、倉庫のところのウンコも片付けたんですけど、そしたら本人が急に「やっぱりウンコは踏んでない」と言い始めて、それからずっと否認していたんですよ。「ウンコ踏んでない」と。だけど、僕の卒業の前日、まぁ前営業日ですけど、に、くれた寄せ書きに「本当はウンコ踏んでました」って書いて送ってきたんです。
なんの話ですか? めちゃくちゃ可愛らしさありますね。
最後の寄せ書きに書く話じゃないと思うし、本人は1回認めて朝礼で謝っているから、僕としてはもう既成事実だったんですけど、本人はその後ずっと否認していて、その話になるたびに「踏んでない」と言っていました。
ははは。
でも、最後に書面で自筆で書いてあるから、これはもう時効ですかね。16年前ですし。この話は、まあちょっと言っておかないといけないなと。それぐらいお茶目なところもありつつ、しっかりと開発なんかはやっていました。
真面目な話に戻ると、冒頭のスピーカー付きデスクの時もそうでしたし、やはり中国でモノづくりをするというのは、ほとんどの場合、困難との戦いなんです。できるはずのことができない。「できた」と言っているのに、できていない。
「出荷する」と言っているのに、製品がないとか。サンプルとはまったく違うものが来るとかですね。1回、オンラインでつないでいた時のことですが、洋平が中国へ行って、サンプルが上がってきたと報告があったんです。そしたら、プラスチックのはずの製品がなぜか金属でできてきて、洋平が「うわぁ〜っ」と近くのソファーに倒れ込む。(笑)
ははっ。
数え上げればきりがないほど、こういうことがありつつ、中国の工場の偉い人たちに酒を飲まされて、僕も彼も毎回シンガポールのマーライオンみたいになるんですけど、なぜか、僕らを潰すと向こうはすごく喜ぶんですね。向こうはめちゃくちゃ喜ぶんです。酒を飲ませて。
(笑)
なんで、そこに付き合いながら「じゃあ明日サンプル完成ね」と言いながら乾杯させられるのも含めて、僕と彼でトリニティの長い歴史の、製品作りや生産、出荷、クオリティを守りながら出荷するということを本当にずっとやってきたんです。本当に、年のうち3分の1ぐらいは中国にいました。2人一緒に行くと効率が悪いので、彼が行って戻ってきたら、今度は僕が行く、というように、代わりばんこに行きながらやってきました。
トリニティはまず「ものづくり」の会社だと僕は思っているので、そこを誰よりも安心して任せられる洋平が行ってる時には何の心配もありません。それで、次に僕が行くという形でやっていました。 実際、彼の方が僕よりも技術的には詳しいんですよ。さっきの家具の話でも出ましたが、自分でCADで設計したり、金型の構造や素材の種類、特性といったことは、もともと彼がやっていたので、圧倒的に詳しいというところもあって。
僕はトリニティに入って、自分たちでものづくりをするようになってから、その辺りを勉強したので、彼の方がもともと詳しいし、最終的に締めるところを締めて出荷させてくれました。
発売遅延も、たくさんの製品を出しているのでゼロではないですが、ほとんどなく一緒にやってこられた。 長々と話しましたが、こういう背景があって、第3回のエピソード3でも話した、僕がいなくなった時に山本が後継者としてやるというのは、会社の人や社内の誰もが「まあ、そうだよね」となるのは、僕と同じことを「ものづくり」という観点においてやってきた、というところがあるからなんです。
プラスチックを頼んだら金属で来るような状況を、なんとか納期に間に合わせるというのはすごいですよね。
そう。いやあ、こんなのはもう山ほどありますよ。この業界じゃなくても。中国で製造するというのは、いろんな業界の人たちがやっていると思うので、あるあるだったり、我々がなぜ大量の製品を納期通りに出荷できたか、みたいな話はまた別の回でできてもいいかなと思っています。
じゃ結構、洋平さんも中国で揉まれて成長していった、という感じなんですかね。
ああ、そうですね。もちろん、もともといた家具の会社では国内、あと一部はインドネシアとかだったかな。でも、こういう電子機器のアクセサリーを中国で製造するという経験はなかったと思いますね。なので、後継者になるというのは自然な流れだった、というところが今の話で伝わったかなと。
なるほど。ありがとうございました。今日はトリニティの後継者、新社長、まあ現社長ですね、の山本洋平さんの話を中心に語っていただきましたが、来週は副社長の佐藤拓さん(ぼんさん)の話もお願いしたいです。
はい。そうですね、ちょっと本当は…毎回そうなって申し訳ないんですけれども、まあ、しょうがないですよね。この20年ぐらいの話をしていると、特に洋平が一番付き合いが長いので、いろいろなエピソードがあるので、ちょっと長くなってしまって、「毎回1回で終わらないじゃないか」みたいな話ばかりで申し訳ないんですけれども、今回も、最初は洋平とぼんの話は2人で1回で終わるかな、ぐらいに思っていたんですけどね。
すみません、洋平の話が思った以上に長くなってしまいました。もちろん、まだ話し足りないことはいっぱいありますけれども、ここでいったん締めて、来週はぼんさんの話にいきたいと思います。
来週もお願いします。
では、来週はぼんさんの回ですね。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
「リアル経営|企業経営の成功と失敗。等身大で語る台本なき社長のリアル。」
概要欄にこの番組のWebサイトへのリンクを張っております。
感想、メッセージ、リクエストなどそちらからいただければ嬉しいです。
毎週金曜朝6時配信です。
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ここまでのお相手は、Hossyこと星川哲視と
がじろうでした。
それではまた来週お耳にかかりましょう。
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